チコが見上げた空

チコは道端に立っていた。
ちいさなちいさな体でせいいっぱい上を見上げて泣いていた。
でも、声は出ず、目も見えず、誰も迎えには来なかった。

ある晴れた日、ボクが息子と車で昼食の買い物に出かけたとき、道路のずーっと向こうに小さなぬいぐるみのようなものが落ちているのが見えた。
なぜか気になったので、本来なら左折する道をぬいぐるみ目指してゆっくりと進んだ。

車を降りると、それは、ぬいぐるみではなく、ちいさなちいさな子猫だった。
たぶん、まだおっぱいを飲んでいる赤ちゃん猫だと思った。
恐るおそる抱き上げてみると、小鳥のように軽かった。
泣いているようだが声は出ていないし、両目はふさがっていて鼻もふさがっていた。
ただ、神様に祈るようにじっと座って空を見上げるばかりだった。

こうしてチコはボクのもとに突然やってきた。その空を見上げる姿は今でも忘れられない。
秋なのに妙に暖かい、ある晴れた日の出来事だった。


初めての「のらねこ」

ボクの息子は今年で10歳になった。ボクが初めてのらねこを捕まえた?のが、ちょうど10歳の頃だった。
ボクが10歳の頃は、今とは違う場所に住んでいた。30年以上も前だから、野良猫がいるのは当たり前で、野良犬もたくさんいて集団でこどもを襲ったりしていた。
その頃に、近所でよく茶トラの猫を見かけた。子猫ともいえないし成猫ともいえない感じだった。

ボクは、どうしてもその猫と仲良くなりたかった。どうしてもうちに連れて帰りたかったので、近所の子どもたちと捕獲しようとした。
逃げられて逃げられて疲れ果て、作戦を立てようと休憩していたら、隣の家の2歳下の男の子が林の中まで追いかけて捕まえてきた。
その子の家は厳しくて猫は飼えないので、結局ボクがもらってきた。

ボクにとって初めての猫の友達だった。名前は散々悩んだ末、「呼びにくい」と家族にも反対された名前に決まった。
と、いうよりボクが譲らなかった。

その猫「みーにゃ」とボクとボクの家族との20年程の長いつきあいが始まった。
家族が増えたのが1匹ではないことは、まだ知る由もなかった。


1+1=8?

みーにゃは、うちの家族になったが、家の中に入る事は許されなかった。
弟が喘息だったこともあり、仕方がないとも思ったし、何より自由に出入りが出来ないのは、みーにゃがかわいそうだったと思う。
ともかく、家は必要だと思ったので、大き目のダンボールを緑色に塗って、中にバスタオルを敷いて縁側の横に置いた。

その箱には「みーにゃのいえ」と大きく書いてあった。

みーにゃは、もともと野良猫だったので、エサがもらえればうちの近くにいる。寝場所もあれば利用するが、猫はもともと気ままな性格なので、毎日きちんと帰ってくるはずもないし、ましてや夜行性なので人間と同じように夜になると「おやすみなさい」とダンボールの家で寝るはずもない。
でも、なぜか心配で、別れたくなくて、いないと探しにいったものだ。みーにゃにとっては、余計なお世話だったと思うが…。

しばらくすると、エサがいいのか美味しいのか、みーにゃが太ってきた。
ちょっとまずいかもというぐらいふとってしまった。まだ1歳そこそこだったと思うので、まさかそんな事になるとは思いもよらなかった。
ある朝早く、「みーにゃのいえ」をのぞいてみたら、8匹の小さな小さな子猫が、ミーミー鳴きながら、みーにゃのおっぱいを取り合っていた。

太った猫は、その日、8匹の猫のお母さんになった。


おばあちゃんと猫

ボクは小学生の頃までは、九州のおばあちゃんの家に遊びに行っていた。
おばあちゃんの家は、うどんの製麺所だった。ボクは、おばあちゃんとうどんの配達に行くのが大好きだった。軽乗用車の助手席に乗って、8トラのテープをかけて演歌やら歌謡曲やらを聴きながら、スーパーなどに配達に回った。ボクはうどんを運ぶでもなく、配達先でお菓子をもらったりするだけだった。
ある日、おばあちゃんの家に野良猫の赤ちゃんが迷い込んできた。目が開かず、前足が両足ともまるっきり動かず、這いずって泣いていた。
おばあちゃんは、その赤ちゃん猫にえさをあげた。母猫は見当たらなかった。
次の日、おばあちゃんは、配達に行く前に赤ちゃん猫にえさをやってから、黙って紙の袋に入れた。
その袋を持って、ボクとおばあちゃんは配達に出かけた。

おばあちゃんは、何だか無口だったと思う。
小さな川の橋を渡ったとき、車のスピードが落ちた。
その瞬間、おばあちゃんは赤ちゃん猫の入った袋を川に投げた。

何が何だかわからなかった。ボクはまだ7歳か8歳だったと思う。
おばあちゃんは、「仕方ない、あの子は一人では生きられん。」といったまま黙ってしまった。
一瞬、ボクの中に怒りの感情が生まれたような気もしたけど、あの子の目と前足は直してあげられないし仕方ないとも思えない。理解するとかしないとかではなく、ただ、子猫を川に投げた事実とおばあちゃんの言葉だけが記憶に残った。

みーにゃが生んだ8匹の猫。かわいかったけど、みーにゃのおっぱいは6つ、弱い子がいつもおっぱいを吸えてなかった。ウチの経済的な事情もあったんだと思う。「3匹だけ残す赤ちゃんを選ばなきゃいけないのよ」と母さんが言った。
ボクは、おばあちゃんが猫を投げたことを思い出した。
10歳を過ぎたボクにでも、自分に命を選ぶ権利などないことはわかった。
選ばれなかった5匹がどこに行くのかも母さんから聞いた。殺されることは解っていた。
都合が良すぎるとは思ったけど、みんなの分も生きて欲しいから、一番元気な子を3匹選んだ。
みーにゃはどう思ったのだろう。いなくなった子供を捜している姿はボクの記憶にない。

おばあちゃんの家にはいつも猫がいた。飼っていた猫もいたときもある。えさをあげて居ついた野良猫がいたときもある。交通事故で死んじゃったこともあった。おばあちゃんの傍にはいつも猫がいた。名前はいつも「たま」とか「チー」とか「ミー」とかありきたりの名前だったと思う。
おばあちゃんは猫嫌いでも、冷たい人でもなかった。

みーにゃの子猫を選んだとき、おばあちゃんの「仕方がない」という言葉を思い出した。
ただ、今が仕方がないのかは、ボクにはわからなかった。
「みーにゃ、ごめんね。みんなごめんね」
ボクには、それだけしか言えなかった。


ハッピーバースデイ

そういえば、昨日はボクの誕生日だった。
年を取ると、(と、いうほどの高齢でもないのだが…)覚えていたはずなのに、なかなか思い出せないことが増えてくる。誕生日といえば、みーにゃの子どもたちの誕生日は、確か6月11日だったと思う。
今、ウチにいる超高級のらねこ(純潔ではないが、かなり純度の高い血統種だと思う)を拾った日も思い出せない。
みーにゃやみーにゃの子どもたちの命日も思い出せない。
と、いうよりあまり重要でないから覚えていないのかも知れない。

きっと、記念日なんて必要ないほど幸せで、思い出がいっぱいなんだと思う。

「ハッピーバースデイ」
生まれてきてありがとう。


なまえ

今うちにいる猫の名前は、「いちご」。
本当は「くじら」になるはずだった。ボクが子猫のオスメスを見間違えたために女の子用の名前になってしまったが、「一吾」でもいいのでそのままになった名前だ。

みーにゃが生んだ子猫は弟が「ドラえもん」。(体が一番小さいから弟にした)当時小学校4年生だったボクはドラえもんが好きで「オスねこ=ドラえもん」になってしまった。
お兄ちゃんの子猫は「ドンざえもん」。ドラえもんに合わせてつけたのだが、家族からの反発は大きかった。でも結局、ドンちゃん、ドラちゃんになった。
もう一匹は名前がつく前に死んでしまった。

だから、チコに会ったとき、長く生きられないかも知れない、飼えないかも知れないけど、名前だけは早く付けたかった。ちっちゃくてかわいいから「チコ」

でも、大きくなってほしかった。


足踏みミシン

みーにゃとその子どもたちは最初はダンボール住まいだったが、親猫1匹と子猫3匹ではダンボールは狭いし安全でもないので物置に引越しをした。
夏だったので物置は蚊が入ってきて仕方ないので入口に蚊取り線香を焚いた。蚊取り線香が原因かどうかはわからないけど、一番大きくて元気だった三毛の子猫が死んでしまった。
亡骸はみーにゃが離さないので隠したけど、みーにゃは子猫を呼びながら近所を探していた。

かわいそうで涙が出た。
みーにゃは毎日毎日探しに行った。

探すのを諦めると、今度は残った2匹の子猫を家の中に運んでくるようになった。きっと外が安全じゃないと悟ったんだと思う。
毎日毎日、戻しても戻しても、押入れの中に子猫を運んだ。
とうとう母さんが親父を説得して家に入れることになった。

みーにゃが選んだ新しい家は二階の足踏みミシンの足踏みの上だった。


チコと別れた日

チコが空を見上げたまま天国に昇ってもう2年近くなる。 ボクとチコは、出会ってから一晩一緒にいただけで、後はずっと病院の酸素室に入っていたので離ればなれだった。 名前を呼ぶと起きてよちよち歩いてくるまで元気になったのに、ある朝早く容体が急変した。病院から連絡を受けて駆け付けた時は意識がなく心臓マッサージで延命しているところだった。開胸して直接マッサージしても鼓動は戻らず自発呼吸も止まってしまった。 延命の中止はボクが決めなくてはいけなかった。 ボクはチコとさよならをした。 チコはまだ温かかった。 入院後、ボクはチコが帰ってこなくなるのがこわくて写真を撮ってなかった。 出会った翌朝に入院したので入院前も写真は撮ってなかった。 チコのただ1枚の写真は安らかに眠る顔だった。 小さいからチコ ボクがつけた名前でチコは大きくなれなかったのだろうか 一周忌を過ぎてもチコのことを思い出すと涙がでた。 そういえば、ボクは、みーにゃ達の最期は看取っていない。 実家から離れていたというのは言い訳で、多分逃げたのだと思う。 そんなボクにとってチコの最期はショックだった。 チコが天に昇って1年余りが過ぎた12月の寒い夜、事件が起きた。 子猫の鳴き声がするので見に行くと、生後一週間余りの子猫が3匹捨てられていた。 この冬一番の寒い夜だ、翌朝には死んでしまう。 「自然の摂理だから仕方がない」 「全ての猫を助ける事はできない」 わかっていたけどボクは見捨てられなかった。

1、2、3だー

12月の寒い夜、子猫の鳴き声は近所の家の庭から聞こえてきた。 どうやら庭の端に無造作に置いてある発泡スチロールの箱から聞こえてくる。 箱には蓋がしてあって、声はその中から聞こえては止み、またしばらくすると聞こえてくる。 この寒さじゃ朝には死んでるかも知れない! ボクは不法侵入して蓋をあけてみた。 なんと茶色のと白に茶ブチの生まれて1週間もたたないような子猫が2匹いた。 「絶対朝には死ぬ」ボクは確信した。
家に帰って家族と相談した。 夕方からずっと鳴いていたようだ。
これは「自然の摂理」か「人間の感情論」なのか 。淘汰されるのは「仕方がない」のか「かわいそう」なのか。しかし、外で飼っている猫が生んであの家で育てているなら勝手に拾えば「どろぼう」になる? 確認しようと呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない。 子猫の声はそこらじゅうに響いている。 家の明かりはついていた。 「処分する気なのか?」「なぜ敷地外に捨てないのか?」 深夜になっても鳴き声は続いている。心なしか声が弱くなてきたように感じた。
「もう、どろぼうするしかない」
ボクは子猫をさらいに行った。 1匹、2匹、取り上げると下からもう1匹小さいのが出てきた。
「3匹もいる!」
 ボクは3匹の子猫をかっさらって、子猫のミルクを買いにドンキ・ホーテに走った。

その時はまだ「かわいそう」に責任がついてくることはあまり認識していなかった。

イクメンな日々

とりあえずミルクを飲ませるしかないということはわかったが、どのくらい飲ませればいいのか、これからどう世話をすればいいのか、うんちやおしっこの世話は?多少の知識はあっても経験もなく途方に暮れた。ボクの妻は息子の育児経験はあっても、こんな小さな子猫の育児経験などなかった。
考えていても仕方がないので、ミルクをあげて仮眠を取って朝一番に近所の動物病院に相談するしかなかった。

動物病院の先生の第一声は、
 
「拾ってしまいましたね」
 
だった。

先生の言葉は重かった。

それまで、何故こんな小さい猫を捨てるんだろう、どうしてこんな風に命が失われるんだろう、母猫はどこにいったのだろう、とばかり考えていたボクの甘さを一言で諭された気がした。
次の瞬間にボクにのしかかってきたのは、この小さな命に対する責任だった。
息子のへその緒を切って産湯に使わせた後に感じた記憶があるものすごいプレッシャーを感じた。

しかし、先生からの指示は、想像以上に簡単だった。

飲めるだけミルクを飲ませなさい
毎日体重を量りなさい
体温が下がらないよう温めなさい

生後数日のこんなに小さい子猫には投薬もできないし、できる事は何もないそうだ。

そして先生は続けた。
 
「体重が増えなければ、この子たちの命は長くないと思ってください」


自然淘汰という神様のルールを破ってしまったこと、その責任が自分にあることを思い知った。
なぜ、捨てられている子猫の鳴き声を聞いても誰も助けなかったのか、もっと考えるべきだった。
自然淘汰というルールの代わりに自分がこの子たちを殺すことになってしまうことに今さら気が付いた。

ボクも妻も仕事をしている。ミルクを飲ませ続け、温め続けることがどんなに難しいか考えてもみなかった。ボクと妻は、2交代で授乳と軽量を繰り返した。朝家を出るときは不安でいっぱいだった。子猫たちの段ボール箱を閉めるときは「これが最期かも知れない」と思うこともあった。帰宅して箱を開けるのが怖い時もあった。

この子たちは、例え離乳期まで育ってもうちで飼える自信はなかった。いちごに加えて全部で4匹ものネコを家飼いするほど家も広くない。餌代もかかるし、猫トイレは1つじゃ足りないかも知れない。
だから、里子に出す可能性もあった。そう考えると名前が付けられなかった。
病院のカルテも「白が多い二毛」「白に茶色の点」「トラ」というように見た目で書かれていた。
一番大きかったトラは、出目金のように目が腫れて見えないようだった。
白っぽいのは、小さくては元気がなかった。
茶点は、一番小さくてミルクもあまり飲まず、ほとんど動かなかった。
みんな100グラムちょっと、体重はなかなか増えなかった。

今だったら「イクメン」というのだろうか、とにかく授乳、授乳の日々が続いた。

しかし、体重は思うように増えず、増えたと思ったら減ることもあった。
そんな時、先生の言葉が甦ってくる。
 
「体重が増えなければ、この子たちの命は長くないと思ってください」


半べそで「死なないで、死なないで」と祈りながら、授乳と計量をする日々が続いた。




ボクは神様とチコに祈った。


「どうか、この子たちを助けてください…」


2週間ぐらいだったろうか、子ねこたちの体重は少しづつ増え始めた。


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